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「理解される」ということに拘りたくない

昨日の「~負けない自分を描いて」の記事で、その友人が、こんなことをLINEに書いてきてくれました。

「理解されてる、と感じ、全てが伝わってきた。涙が出た・・」

真っ直ぐにしか進めない彼女ならではの素敵なメッセージでした。ありがとう^^

理解されるって 全ての人にそう思われる訳でもなく、
理解してもらおうと、必死で話したりしても、結局のところかえって反発されたりで、
話した自分が馬鹿だった、言わなきゃ良かった、
そうなってしまうと、心は閉ざされてしまいませんか?

理解されない=苦しみ=人間不信

そういう私も、この3つの悪いパターンにはまったこともあります。
それじゃ、今はそれを克服したのか?と言えばそうではありません。

只、考え方を変えただけ、もっと正確に言うのならば「理解される」って言うことに拘る必要がない、
と言うことに気が付いた…ということかも知れません。

10人の知人がいたとして・・
その中で、私のことをどう思ってくれてるのか?と考えてみた時、
3人は嫌い!というかも知れない。
5人はどっちでもない。
でも、残りの2人は「好き」って言ってくれるかも知れない。
人に寄っては、「えっ、10人の中に私が嫌いない人が3人もいるわけ」って・・・・・・涙

でも、私は、2人も私のことを好きだって思ってくれてる人が居るなんて~~なんて幸せな自分。
2人も理解してくれたんだ。良かった^^

それでいいのかな~て思うのです。
又、そう思えた人の方が楽ち~んだし、「幸せな自分を描ける」と思っています。

昨日の記事にFB「いいね!」押して頂き有難うございます。共感して頂けたことに感謝いたします^-^

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